すべての子どもに必要な体験を。ミダス財団が挑む、体験格差解消への道のり  |  ミダス財団

BACK TO LISTS

すべての子どもに必要な体験を。ミダス財団が挑む、体験格差解消への道のり

Interview

DATE: 2025.10.02

すべての子どもに必要な体験を。ミダス財団が挑む、体験格差解消への道のり

ミダス財団は「2050年までに1億人にポジティブな人生選択の機会を提供する」という目標を掲げ、教育格差の解消に取り組んでいます。その中核事業の一つが「子どもの体験格差解消プロジェクト」です。このプロジェクトでは、株式会社Ridiloverと連携し、全国のNPOや事業者と共に、体験格差解消を目指し各団体が有機的に連携するためのコンソーシアムを立ち上げようとしています。今回は、プロジェクトに関わる財団職員の亀田氏と、アドバイザーを務める浜野隆教授(お茶の水女子大学)に、事業の背景と展望について伺いました。

体験格差という見えない壁と、非認知能力への注目

── 亀田さんとミダス財団、そして浜野先生との出会いについて教えてください。

浜野 私は教育社会学と教育開発論を専門に、教育格差の問題に取り組んできました。格差というのは、単に差があるということではなく、生まれた家庭や環境などの本人が選べない条件によって機会に差がつくことを指します。

亀田 実は私自身が、お茶の水女子大学大学院在学中にに浜野先生のゼミを履修していました。当時は文系を自負し数学が大の苦手だったのですが、ゼミの中で先生から「数字は世界共通の尺度。言語も文化も異なる人同士が同じ物差しで物事を見ることができる」と教えられ、大きな衝撃を受けました。
その後、三菱総合研究所で人事として育児・介護と仕事の両立支援やダイバーシティ推進に携わっていましたが、勤務10年を超え自身のキャリアを見つめ直していたタイミングでミダス財団から声をかけていただきました。
財団に参画してから体験格差プロジェクトの立ち上げに関わる中で、効果測定や評価の専門家が必要だと感じ、教育開発論の専門家である浜野先生のことを思い出したんです。先生が非認知能力の研究もされていることを知り、財団メンバーに紹介したことが、財団と先生を繋ぐきっかけでした。

── ミダス財団が取り組む「体験格差」とは具体的にどのような課題なのでしょうか。

亀田 日本は一見、格差が少ない社会に見えます。衣食住、公教育、医療が整備されていれば「それ以上は自己責任」という風潮も感じます。でも、本当にそうでしょうか。
日本には、さまざまな事情で体験の機会を得られない子どもたちがいます。最低限の生活環境は整えられていても、非認知能力を育む体験の機会が圧倒的に不足している状況があるのです。
私たちは、体験機会が公教育と同じレベルで子どもたちに保障されるべきだと考えています。全ての子どもがきちんと義務教育を受けられているだろうか、と確認するのと同じように、全ての子どもが必要な体験を得られているだろうか、と確認され体験が保障される社会を目指しています。

浜野 格差の問題は経済的な側面だけではありません。不登校の子どもは全国で30万人以上、実際にはもっと多いでしょう。虐待を受けている子ども、外国籍の子ども……さまざまな理由で、本人の責任ではない条件によって体験の機会を失っている子どもたちがいます。

── なぜ今、体験に注目することが重要なのでしょうか。

この10年で世界の教育議論は大きく変わりました。従来重視されてきた学力や、テストで測れる知識や計算力、論理的思考力といった認知能力だけでなく、人と協力する力、やり抜く力、レジリエンスといった「非認知能力」の重要性が認識されるようになっています。
認知能力の多くはAIで代替可能になる一方、非認知能力は人間固有の能力として残り、しかも子どもの将来の幸福度、収入、健康、社会的能力により強く関わることも分かってきました。
この非認知能力を育むのが、体験です。ただし、一度の体験で劇的に育つものではなく、さまざまな生活経験の中で時間をかけて育っていきます。匂いを嗅いだり、味わったり、失敗したりなど、五感を使った直接体験こそが、他者との協働や成功体験、そして非認知能力の育成につながると考えています。

浜野隆教授

効果測定への挑戦、コンソーシアムが目指すもの

── 体験による効果について、ミダス財団のアプローチを教えてください。

浜野 学力が向上したかどうかの効果と比べ、非認知能力や体験の効果は極めて測定が困難です。多くの団体は単純な前後比較で「自己肯定感が上がったか」を測る評価に留まっています。
海外では、SDQ(情緒の安定性を測る尺度)などの専門的ツールを使い、数ヶ月から数年にわたる追跡調査を行います。短期的には、うつ、引きこもりといった内在化問題や、暴力、非行など外在化問題の減少、中長期的には学校への出席率向上、高校卒業率、さらに長期では就職、収入、健康状態、犯罪率の低下などを指標にしています。
アメリカのペリー・プレスクール・プログラムは40年以上も同じ子どもを追跡していますが、日本でもようやく文部科学省が幼児教育の長期的効果について本格的な調査を始めました。
ただし、追跡調査は言うほど簡単ではありません。引っ越しをする子どもたちもいますし、個人情報保護の壁もある。さらに、厳しい状況にある家庭ほど調査に協力してもらえない傾向があり、データにバイアスがかかってしまうという問題もあります。
ミダス財団のコンソーシアムでは、最初から評価設計を組み込み、研究機関と連携した長期的な追跡調査の仕組みを構築しようとしています。これは日本において画期的な試みだと思います。

── 財団がコンソーシアムという形を選んだ理由と、期待される成果は何でしょうか。

亀田 体験機会を提供する活動をされているNPO等の団体は目の前の子どもたちへの支援が最優先であり、その支援で精一杯でもあるため、団体同士の連携構築や俯瞰的視点の確立、長期的な効果測定実施まで手が回らないのが現実です。
ミダス財団は独立した財源を持つ組織として、行政の下請けのような形にはならず、複数の団体をつなぎ、高い視点から全体を見渡し、共に歩む役割を担うことができます。各団体の知見を集約し、「日本の子どもたちにどういう大人になってもらいたいか」というビジョンを共有しながら、体験格差解消に向けた大きなムーブメントを作っていきたいと考えています。
私たちは、体験を提供する団体にとどまるのではなく、体験機会の提供を担う団体と共に歩みながら、時に多面的に状況を分析し、真の体験格差解消のために何ができるかを考え形にしていくことを目指しています。
浜野 行政などからの委託を受けるために競合しなければならない状況だと、入札で選ばれるための工夫に終始してしまう。
ミダス財団は独立した財源を持つことで、そうした制約から自由に、様々な団体をまとめていく力があります。これは財団だからこそできる重要な役割だと期待しています。
また、子どもを支えるためには大人が支えられていることが重要だという視点も忘れてはいけません。親や教員の「時間貧困」の問題などからもわかるように、大人がもっと幸せでないと、子どもも幸せになれないと考えています。

亀田氏

1億人にインパクトを届けるために

── 「2050年までに1億人にポジティブな人生選択の機会を提供する」という目標に向けて、最も重要なことは何でしょうか。

浜野 現在は、子どもたち全体が体験貧困の状態にあると考えています。私の世代は直接体験が豊富でしたが、今の子どもたちはICTに囲まれ、間接体験が多い。ゲームの中でしか焚き火を知らない子どもたちは、本物の火の匂いや、火の付け方を知りません。五感を使った直接体験、失敗から学ぶ機会が圧倒的に不足しています。
さらに深刻なのは、日本の子どもの自殺率が先進国でワースト4位であるという現実です。平均的な子どもの満足度は上がっているのに、最も困難な状況にある子どもたちは救われていない。この二極化を解消することが急務です。
1億人という野心的な目標設定は、全ての子どものウェルビーイングを考える際に、非常に強いメッセージ性を持っています。持続的に取り組むためには、スタッフの育成はもちろん、社会全体にこの課題を認識してもらい、さまざまな形で支えてくれる仲間を増やすことが大切です。

亀田 1億人という数字は、一度きりの支援では達成できません。子どもたちが成長し、やがて子どもを育てるくらいの年齢になり、次世代にポジティブな再生産ができるまで、長期的にコミットし続けることが必要です。
現在、ミダス財団の事業の多くが子どもを対象にしていますが、1回や2回の体験をしたからといって人生が変わるほど簡単なことではありません。2050年はあっという間に来てしまいます。だからこそ、一度始めた事業は辞めない。その覚悟を持って、子どもたちが大人になる頃まで追いかけ続け、プラスの再生産ができる社会を作っていきたいと思います。