ミダス財団国内事業部で特別養子縁組事業を担当する湯本梓氏。看護師・保健師として母子保健の現場を経験し、2024年4月から財団職員としての活動を開始しました。ビジネスと福祉の異なる価値観をつなぎながら、日本の特別養子縁組制度が抱える構造的課題に向き合う中での気づきと、今後の展望について話を伺いました。

ビジネスと福祉の融合がもたらす可能性と課題
── ミダス財団に参画されたきっかけと、この一年での取り組みについて教えてください。
看護師としてNICU勤務後、自治体で保健師として母子保健・子育て支援に従事、その後妊活支援ベンチャー企業の勤務と、ずっと母子支援の現場で働いてきました。ミダス財団が特別養子縁組事業を立ち上げる際にメンバーを募集していることを知り、同じ対象者を支援してきた経験と、財団の方から壮大な構想を聞いて興味を持ったことからエントリーを決めました。
現在は特別養子縁組事業の普及啓発活動や業務提携先の運営まで幅広い業務に携わっています。具体的には、ミダス&ストークサポートの運営や職員研修、養親リクルート活動、養親交流会などの企画や、母子保健での知見を活かして相談員さんからのケース対応の疑問など一緒に解決しています。
個別のケースワークに直接関わるというよりも、全体的の事業運営や、現場の皆さんの手が回らないところをサポートするのが主な役割です。さらに、特別養子縁組を広く見ていく立場から、他のあっせん機関へのヒアリングや連携の模索、支援者育成のための研修の立ち上げ、制度の認知拡大のための企画なども進めています。
── ビジネスと福祉、異なる価値観を持つ組織が協働することの難しさと可能性について教えてください。
財団には、経営をはじめビジネス分野の方が多く、支援現場でもビジネス的なアプローチを試みてくださっています。だからこそ、支援の現場との共通認識を図ることは非常に重要で、かつ難しさがあります。
スピーディーに目標達成を目指す財団に対し、支援現場は対人支援であり、365日24時間対応の業務、想像をはるかに超える忙しさ。合理的なロジックが通用しないことも少なくありません。その中で発生する温度差を地道にすり合わせることはハードですが、やりがいのある部分でもあります。
── 事業における数値目標の設定についても苦労されたと伺っています。
ビジネスパーソンの多い財団で取り組む事業だからこそ、互いに分かりやすい指標が必要だと考え、民間あっせん団体において養子縁組成立のボトルネックとなっている養親候補者不足を解消するために年間700件の養親希望者からの資料請求を目指すといった数値目標 を最初に立てました。ですが、一年が経つタイミングでは達成することはできませんでした。
やみくもに成立件数を増やせばいいわけではないですし、何よりも特別養子縁組の仕事は人の人生を大きく変えます。数値目標を課すことの意味をより明確にする必要性を実感しました。数値目標も件数だけではなく、初回相談への返信タイミングや一人あたりの支援回数など、質を担保するために数値化できる部分もあるので、今はその折衷案を模索しています。
日本の特別養子縁組制度が抱える構造的矛盾
── 日本の特別養子縁組制度における最大の課題をどのように捉えていますか。
構造的な問題として、支援者の専門性を担保する仕組みが存在しないことが挙げられます。諸外国では政府が運営している領域を、日本では民間あっせん機関が担っているという特異な状況があります。
歴史的にも、日本では法整備化に先行して養子縁組の実践が行われてきました。その結果、現場の裁量に依存する部分が大きく、標準化された育成カリキュラムや品質管理の仕組みが構築されていません。支援者は独学で専門性を身につけざるを得ず、組織間でサービスの質にばらつきが生じています。これは利用者にとっても、支援者にとっても望ましい状況ではありません。
── 支援現場の労働環境と人材確保の課題についてはいかがでしょうか。
ミダス&ストークサポートとの協働を通じて明らかになったのは、支援者の過酷な労働環境です。限られたマンパワーで実親、養親、養子からの相談対応をしており善意や熱意によってなんとか成り立っている状況がうかがえました。
また、この高度な専門性と責任を要する業務に対して、適正な対価が支払われていないこと。国からのあっせん機関への助成金もありますが、上手く利用できずに他事業からの持ち出しで経営している団体もあります。
この状況では、優秀な人材の確保・定着は極めて困難だと感じています。資格を持つ専門職は、より待遇の良い職を選択するでしょう。持続可能な支援体制を構築するためには、適正な人件費の確保と労働環境の改善が不可欠です。
── 社会的認知の低さがもたらす影響についてどう考えていますか。
日本における特別養子縁組の認知度は、欧米諸国と比較して著しく低い水準にあります。興味深いのは、2024年度東京都の合計特殊出生率が0.96を下回る少子化が進行する一方で、現場の支援者は「子どもを育てられない親が増加している」と口を揃えることです。子どもを育てられない親からの相談はありますが、養親希望者からの相談は年々減少しています。この矛盾は、日本社会が抱える複合的な課題を象徴しているのではないでしょうか。
ただ誤解してほしくない点は、特別養子縁組は「良い親に子どもを育てさせるための制度」ではないということ。子どもが育てられないと相談に来る人の9割以上は、結果的に親族・行政等の支援を受け自分で育てる選択をします。大切なのは、その意思決定のプロセスに寄り添い必要な支援に繋げるということです。
社会的認知の向上は、単なる啓発活動では実現しません。多様な家族形態の一つとして社会に位置づけられるまでには、今後の日本社会への長期的な視点と各コミュニティとのコミュニケーション、継続して発信していく努力が求められます。
包括的ネットワークで実現する持続可能な支援モデル
── 今後の事業展開において、どのような戦略的アプローチが必要とお考えですか。
単一組織での対応には限界があることから、セクターを超えた包括的なネットワーク構築が不可欠です。特別養子縁組は、プロセスの一部に過ぎません。実親への継続的支援、性被害者支援、妊産婦の居場所事業など、近接領域の専門機関との連携により、切れ目のない支援体制を構築する必要があります。
現状では、委託後の実親へのフォローアップは十分にできているとはいえません。民間あっせん機関単一組織では、そこまでカバーする人的・財政的リソースがないためですが、真の課題解決には、予防的アプローチを含む包括的な支援が必要になってきます。
さらに重要なのは、予防の視点です。予期しない妊娠に至る前の段階、つまり価値観形成期にある子どもたちへの教育的介入が根本的な解決につながります。これは財団が展開する体験格差解消事業を通して子どもが自ら人生を選択できるようにするということとの強いシナジーが期待できる領域です。即座にアウトカムは出ませんが、20年、30年というスパンで社会を変革する種を撒く取り組みだと考えています。
── ミダス財団の事業ポートフォリオにおける特別養子縁組事業の位置づけをどう捉えていますか。
このインタビューを通じて改めて認識したのは、ミダス財団の各事業が人生の重要な転換点に介入しているということです。教育環境整備、体験格差解消、特別養子縁組など、これらは全て、個人のライフステージにおける決定的な選択の場面に関わっています。
この観点から見ると、財団の事業は「ゆりかごから墓場まで」という包括的な社会インフラを構築する試みと言えます。全ての人 が、人生のどこかの段階でミダス財団の事業に触れ、より良い選択ができる。そんな社会をつくっていけたらと思います。
── 特別養子縁組が目指すべき理想的な姿とは何でしょうか。
養親家族の交流会に参加した時、本当に幸せそうな家族の姿を見ました。どの家族を見ても血のつながりなんて全く関係ない。養親になる過程で家族像を第三者と徹底的に議論してきたからこそ、家族に対する価値観がしっかり形成されているように感じます。
特別養子縁組は「三方良し」の実現を目指すものと言われています。養子、養親、実親といったステークホルダーが、それぞれの人生において最善の選択をし、その決断を通じてより豊かな人生を送れるようにするための制度です。
最終的には、特別養子縁組が特別なものではなく、多様な家族形態の一つとして自然に受け入れられる社会を実現したい。公益財団として広く情報発信をしていくことで、その実現に貢献していける。それが私たちの役割だと考えています。
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